「魔法が解けた」とボブ・ディランは19年ぶりのインタビューの中で語ったという。
自らの43年のキャリアに対して、そのイメージや思想のほとんどはは周りの者達が作り上げて来たもので、自分はただ一人の普通の人間であり、エルビスに憧れた普通の音楽少年であったことを振り返っての発言である。
世の中には主役と演出家が存在する。
生み出した者が「主役」であり、素晴らしいと言ってくれる人が「演出家」になる。
自らが生み出した何かについても「素晴らしい」と言ってくれる人が存在しないと何も始まらない。演出家はビジネスという名の下に主役を更に巨大化させる為に演出を重ねる。
我々の毎日の仕事のほとんどは演出だ。優れたものに対しての演出には問題が無いが、資本主義社会では何年も経って来るとそう思わないものに対しても演出しなければならなくなる。長らく演出家に徹していると何が主役だったのかなんてだんだん解らなくなることなんて常の現代社会である。
自分はずっとNo.2という存在に憧れてきた。演出家とも少し違うけどある意味演出家をもコントロールする存在。
例えばGodfatherの中ではロバート・デュバルの存在が好きだった。
主役の相談役でもあり、ファミリーの相談役でもある。みんなの事を知っていて、みんなを優しく包む存在がNo.2に感じられた。しかしなかなかNo.2に決定権は無いのが時に苦悩でもあるだろう。
ディランはもう何をしようが、何を言おうがボブ・ディランである。予言者でもなく救世主でもないことはもうみんな知っている。それでも彼の音楽はずっと影響を与え続る。もう演出家はいらない。そういう事を言いたかったのかな?
今年ThumbsUpにも来たHotClubOfCowtownというクラブバンドとも夏にツアーをしたり、ちょっと自由な感じが見えて来たのも事実。
純粋に音楽だけを見れば、きっと音楽の魔法はずっと解けることはない。
主役がどんどん主役の座を降りようとしている。主役の力強さが減って来ている。
演出家のせいもあるだろうから一概には言えないけど。
こんな世の中だからもう一度初心に返って、自分を主役に自分で演出してみては。
そう教えてくれたんだ、と思う事にしよう。
PS
RollingStone誌の「後世に残す名曲TOP500」で見事1位となった「Like a Rolling Stone」だがそれを伝えたとある日本のラジオ曲で女子アナが何度も「ライク・ア・ローリングストーンズ」と言っていたのは苦笑だった。
ちなみにウチの奥さんが話している某コミュニティーラジオの番組でで「韓流」を「かんりゅう」と読んでいて「はんりゅう」に訂正させられていた。どうでもいいけど。
「かんりゅう」の方がよっぽど解りやすいけどね。